通史
ボルシア・ドルトムントは1909年12月19日、18人の若者によって作られました。教会の信徒会がスポーツ活動を制限しようとしたことに反発した若者たちが、ボルシクプラッツ近くの「ツム・ビルトシュッツ」という店に集まり、脱退と新クラブの設立を決めています。
ボルシア(Borussia)はラテン語でプロイセンを意味します。当時ドルトムントがプロイセン王国に属していたことと、広場の近くにあったボルシア醸造所の名前が由来です。同じ時期には「ヴェストファリア」「ゲルマニア」といった地域名を冠したクラブが各地に生まれていました。
創設当初のクラブカラーは青、白、赤でした。3つのスポーツクラブが合流した第一次世界大戦前に、いまの黒と黄に変わっています。
ブンデスリーガが発足する前、1955-56と1956-57にドイツ選手権を連覇しました。ブンデスリーガ発足後の1962-63にも優勝し、1965年にはDFBポカールを初めて獲得。そして1966年、カップウィナーズカップを制します。ドイツのクラブとして初めての欧州タイトルでした。
1971-72に2部へ降格します。1976年に昇格して戻ってきたものの、そこからは中位を漂う時期が続きました。1974年に開場したヴェストファーレンシュタディオンだけが、その間もずっと満員に近い状態を保っています。
会長のゲルト・ニーバウムが海外リーグから戻ってくるドイツ代表選手を次々に獲得し、1990-91にオットマー・ヒッツフェルトが監督に就任しました。1992-93のUEFAカップ決勝ではユヴェントスに大敗しますが、アンドレアス・メラーの加入を経て1994-95、1995-96とリーグを連覇します。
そして1996-97。リーグではバイエルンに3連覇を阻まれた一方、チャンピオンズリーグで初優勝を果たしました。決勝の相手は、4年前に自分たちを叩きのめしたユヴェントスでした。
2001-02にマティアス・ザマー監督のもとで6度目のリーグ優勝を果たしますが、その裏で経営は傾いていました。ドイツのクラブとして初めて株式を上場した戦略が裏目に出て、2004-05シーズンの途中には負債1億2000万ユーロを抱えて破綻寸前まで追い込まれます。詳しくは2005年の経営危機のページにまとめました。
マインツを躍進させたユルゲン・クロップが2008年に就任し、平均年齢22歳から24歳という若いチームを作りました。2010-11に9シーズンぶりの優勝、2011-12にはリーグ28試合無敗・勝ち点81で連覇し、DFBポカール決勝でもバイエルンを破ってクラブ史上初の国内2冠を達成しています。2012-13にはチャンピオンズリーグ決勝まで進み、バイエルンに敗れました。
この時期に、育てて売るという現在のモデルが定着します。レヴァンドフスキ、香川真司、ゲッツェ、フンメルス。伸びた選手を手放しながら次を用意し続ける形が、いまも続いています。
2022-23は最終節に引き分け、得失点差でバイエルンの11連覇を許しました。2023-24はチャンピオンズリーグで11シーズンぶりに決勝へ進み、レアル・マドリードに0-2で敗れています。2025年1月にニコ・コヴァチが就任し、2025-26はリーグ2位。優勝からは2012年以来遠ざかっています。
いまのチームがどこにいるのかは2026-27の展望で、選手の顔ぶれは最新メンバーで確認できます。
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