ドルトムント通信

通史

ドルトムントの歴史 1909年から現在まで

更新 2026年8月14日

ボルシア・ドルトムントは1909年12月19日、18人の若者によって作られました。教会の信徒会がスポーツ活動を制限しようとしたことに反発した若者たちが、ボルシクプラッツ近くの「ツム・ビルトシュッツ」という店に集まり、脱退と新クラブの設立を決めています。

190918人でクラブ創設 1956-57ドイツ選手権を連覇 1966ドイツ勢初の欧州タイトル 19722部降格 1995-97リーグ連覇、そしてCL制覇 2005負債1億2000万ユーロ、破綻寸前 2011-12連覇と、クラブ初の国内2冠
黄色は成功、灰色は危機。この上下の振れ幅がこのクラブの歴史そのものです。

名前と色の由来

ボルシア(Borussia)はラテン語でプロイセンを意味します。当時ドルトムントがプロイセン王国に属していたことと、広場の近くにあったボルシア醸造所の名前が由来です。同じ時期には「ヴェストファリア」「ゲルマニア」といった地域名を冠したクラブが各地に生まれていました。

創設当初のクラブカラーは青、白、赤でした。3つのスポーツクラブが合流した第一次世界大戦前に、いまの黒と黄に変わっています。

最初の黄金期(1950年代から1960年代)

ブンデスリーガが発足する前、1955-56と1956-57にドイツ選手権を連覇しました。ブンデスリーガ発足後の1962-63にも優勝し、1965年にはDFBポカールを初めて獲得。そして1966年、カップウィナーズカップを制します。ドイツのクラブとして初めての欧州タイトルでした。

降格と長い停滞(1970年代から1980年代)

1971-72に2部へ降格します。1976年に昇格して戻ってきたものの、そこからは中位を漂う時期が続きました。1974年に開場したヴェストファーレンシュタディオンだけが、その間もずっと満員に近い状態を保っています。

ヒッツフェルトの時代(1991年から1997年)

会長のゲルト・ニーバウムが海外リーグから戻ってくるドイツ代表選手を次々に獲得し、1990-91にオットマー・ヒッツフェルトが監督に就任しました。1992-93のUEFAカップ決勝ではユヴェントスに大敗しますが、アンドレアス・メラーの加入を経て1994-95、1995-96とリーグを連覇します。

そして1996-97。リーグではバイエルンに3連覇を阻まれた一方、チャンピオンズリーグで初優勝を果たしました。決勝の相手は、4年前に自分たちを叩きのめしたユヴェントスでした。

破綻寸前(2000年代前半)

2001-02にマティアス・ザマー監督のもとで6度目のリーグ優勝を果たしますが、その裏で経営は傾いていました。ドイツのクラブとして初めて株式を上場した戦略が裏目に出て、2004-05シーズンの途中には負債1億2000万ユーロを抱えて破綻寸前まで追い込まれます。詳しくは2005年の経営危機のページにまとめました。

クロップの7年(2008年から2015年)

マインツを躍進させたユルゲン・クロップが2008年に就任し、平均年齢22歳から24歳という若いチームを作りました。2010-11に9シーズンぶりの優勝、2011-12にはリーグ28試合無敗・勝ち点81で連覇し、DFBポカール決勝でもバイエルンを破ってクラブ史上初の国内2冠を達成しています。2012-13にはチャンピオンズリーグ決勝まで進み、バイエルンに敗れました。

この時期に、育てて売るという現在のモデルが定着します。レヴァンドフスキ、香川真司、ゲッツェ、フンメルス。伸びた選手を手放しながら次を用意し続ける形が、いまも続いています。

そして現在

2022-23は最終節に引き分け、得失点差でバイエルンの11連覇を許しました。2023-24はチャンピオンズリーグで11シーズンぶりに決勝へ進み、レアル・マドリードに0-2で敗れています。2025年1月にニコ・コヴァチが就任し、2025-26はリーグ2位。優勝からは2012年以来遠ざかっています。

いまのチームがどこにいるのかは2026-27の展望で、選手の顔ぶれは最新メンバーで確認できます。

出典と注記

クラブの公式発表と報道段階の情報は本文中で区別しています。公表が確認できない項目は「—」と表示しています。